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第4話 アンタは“価値”を知らない

last update Petsa ng paglalathala: 2026-07-02 18:26:19

 夜風が、火照った頬にじんわりと沁みた。

 商会を飛び出してから、まだそんなに時間は経っていない。

 なのにもう、さっきまでいた場所が妙に遠く感じる。

「ほら、突っ立ってないで乗りな」

 通りの端へ停められていた大型馬車。その御者席から、女がひらひらと手を振った。

 ヴェルカだ。

 長い赤髪を無造作に流し、片手には酒瓶。完全に出来上がった顔で笑っている。

 ……本当にこの人について行って大丈夫なんだろうか。

 俺は思わず、隣のミリスを見る。

 ミリスも無表情のままヴェルカを見上げていた。

「危険人物」

「だよな……」

 即答だった。

 だがヴェルカはケラケラ笑う。

「失礼だねぇ。これでも評判の良い行商人だよ、私は」

「酒臭い時点で説得力ゼロなんだけど……」

「酒は商売の潤滑油さ」

「潤滑しすぎだろ」

 ツッコみながら馬車へ近づく。

 その瞬間。

「うわっ……」

 思わず声が漏れた。

 荷台がとんでもないことになっていた。

 積まれているのは木箱だけじゃない。

 鍋。フライパン。酒樽。干し肉。布袋。工具。ロープ。ランタン。剣。槍。見たこともない置物。よく分からない骨。なぜか巨大な魚の干物まである。

 統一感が皆無だった。

「……ゴミ捨て場?」

「商売道具だよ」

 ヴェルカが不満そうに眉を寄せる。

「行商人ってのはね、お客が欲しがるなら何でも売るもんなの」

「いや限度あるだろ……その魚いる?」

「南方じゃ高級品だぜ?」

「マジで?」

 思わず魚を見る。

 《塩漬け巨大魚:480G》

 高っ。

 こんなのまでちゃんと価値あるのかよ……。

 俺が若干引いていると、近くで別の馬車を整備していた男がこちらへ顔を向けた。

「あれ、ヴェルカじゃねぇか」

 日に焼けた中年の御者だった。

 ヴェルカを見るなり、呆れたように笑う。

「なんだよ。また弟子増やしたのか?」

「拾った」

「犬猫みたいに言うな」

 即座にツッコむ。

 御者は腹を抱えて笑った。

「ははっ、今回は何日持つかねぇ」

「失礼だなぁ。今回は長持ちするよ」

「前の奴、三日で逃げただろ」

「繊細だったんだよ」

「酒瓶投げつけたって聞いたぞ」

「避けなかったアイツが悪い」

「最低だこの人!」

 思わず叫ぶと、御者は「頑張れよ坊主」と肩を叩いてきた。

 全然励まされてる気がしない。

 俺は嫌な汗を流しながらヴェルカを見る。

「……本当に大丈夫なんだよな?」

「大丈夫大丈夫」

 ヴェルカは酒瓶を揺らしながら笑った。

「私は“面白い”と思ったモノしか拾わない主義でね」

 その言葉だけ、妙に真っ直ぐだった。

 一瞬だけ。本当に一瞬だけだが。

 酔っ払いの目には見えなかった。

「……ま、立ち話してても仕方ない。行くよ」

 ヴェルカが手綱を鳴らす。

 馬がゆっくり動き出した。

 石畳を抜け、見慣れた街並みが遠ざかっていく。

 俺は荷台へ腰を下ろしながら、小さく息を吐いた。

 ――街から出るのなんて、何年ぶりだろう。

 そして。

 長年暮らした街を飛び出してから、三日後。

 俺たちは次の街へ辿り着いていた。

 鉱山都市ミスラント。

 街へ足を踏み入れた瞬間、まず耳へ飛び込んできたのは、金属を打ち鳴らす甲高い音だった。

 カン、カン、と絶え間なく響く槌音。

 通りには鉱石を積んだ荷車が何台も行き交い、煤まみれの鉱夫たちが怒鳴り声を上げながら行き交っている。

 空気もどこか鉄臭い。

「うわ……」

 思わず辺りを見回す。

 俺が今までいた街とは、空気そのものが違った。

 市場には武器、防具、鉱石、工具。

 並んでいる商品も全体的に物騒だ。

 剣一本にしても、以前居た商会で見たような飾り物じゃない。

 本気で“使うため”の道具ばかりだった。

「田舎者丸出しだねぇ」

 御者席でヴェルカが笑う。

「うるさいな……」

「ミスラントは鉱山と交易で食ってる街だ。人も物も金も流れが激しい。だからそのぶん、胡散臭い連中も多いんだ」

「胡散臭い人が言うと説得力あるな」

「お、褒めてる?」

「褒めてない」

 そんなやり取りをしている間にも、ヴェルカの馬車へ視線が集まっていた。

「おい、ヴェルカだ」

「また来やがったのか……」

「今度は何持ってきた?」

 通りの商人たちがざわつく。

 しかも妙に反応が極端だった。

 歓迎してる奴もいれば、露骨に顔をしかめる奴もいる。

 ヴェルカはそんな視線を気にも留めず、酒瓶を片手に笑っていた。

「アハハ! いやあ、人気者はつらいねぇ」

「笑ってる場合かよ……。奥のオッサンとか、殺意剥き出しだぞオイ……」

 すると突然。

「おいヴェルカ!」

 露店の向こうから、小太りの男が声を張り上げた。

「ちょうどいい! 例の魔導具、買わねぇか⁉」

 男の露店には、古びたランタンが置かれていた。

 表面には古代文字みたいな紋様が刻まれている。

 確かに、一見すると本物っぽい。

「古代遺跡産だ! 魔力反応もある!」

「へぇ?」

 ヴェルカが興味深そうに馬車を降りる。

 俺も何となく後ろからついていった。

 視界に数字が浮かぶ。

 《ガラクタのランタン:8G》

 ……安っ。

 いや、絶対インチキだろこれ。

「やめとけって」

 俺は小声でヴェルカへ言う。

「どう見ても偽物だ」

 だがヴェルカはニヤついたままランタンを持ち上げた。

「ふぅん……」

 カン、と軽く叩く。

 次の瞬間。

 バキッ。

「え?」

 ヴェルカが躊躇なくランタンを分解した。

 露店の男が固まる。

「ちょっ、おま――!」

 そのままヴェルカは内部を覗き込み、小さく笑った。

「やっぱり」

 中から、青白く光る鉱石片を摘まみ出す。

 視界の数字が切り替わる。

 《魔導核片まどうかくへん:3800G》

「はぁぁ⁉」

 思わず叫んだ。

 さっきまで8Gだったガラクタの中に、とんでもないモノ入ってるんだけど⁉

 露店の男も目を剥いていた。

「な、なんでそんなモン入って――」

「知らなかったのかい?」

 ヴェルカがニヤリと笑う。

「こりゃ古代式ランタンじゃなく、“魔導炉の廃材”だ。中に核片が残ってる場合がある」

 男の顔色が変わる。

 つまりコイツ、本当に知らずに売ってたのか。

「よく覚えときな、クラド」

 ふと、周囲の喧噪が一瞬だけ遠くなる。

 ヴェルカの赤い瞳が細まった。

「商人ってのはねえ、商品を見るんじゃあない」

 核片を弄びながら笑う。

「“価値”を見るんだよ」

 その瞬間だけ。酔っ払いのダメ女には見えなかった。

 背筋が妙にゾワッとした。

「……かっこつけてる」

 隣でミリスがぼそっと呟く。

「ははっ! こういうのはかっこつけてなんぼだぜ、お嬢ちゃん」

 ヴェルカは笑いながら、そのまま核片を懐へ放り込んだ。

 ***

 ミスラントの市場は、とにかく騒がしかった。

 怒鳴り声。値切り交渉。鉱石を運ぶ荷車。

 その喧騒のど真ん中を、ヴェルカは酒瓶片手にふらふら歩いていく。

 ……本当に大丈夫なんだろうか、この人。

「お、塩じゃあねえか」

 ヴェルカがふと足を止めた。

 露店には麻袋へ詰められた白塩が山積みになっている。

「一袋120Gだよ! 今なら安い!」

 店主が声を張り上げる。

 俺は反射的に値段を見る。

 《岩塩:118G》

 ほぼ適正価格だった。

 特に問題はない。

 だがヴェルカは、塩を指で摘まむと、妙にニヤついた。

「なあオッサン! コレ、全部くれ」

「は?」

 思わず変な声が出た。

 隣でミリスも、ほんの少しだけ目を丸くしていた。

「……全部?」

 珍しく、自分から口を開く。

「そ。全部」

 ヴェルカはケラケラ笑った。

「ま、毎度あり!」

 店主が慌てて袋をまとめ始める。

「おい待て待て待て! 何でだよ⁉」

 俺が止めると、ヴェルカは酒瓶を揺らしながら笑う。

「まあまあ! いいから積みな!」

 数十分後。

 俺たちは馬車へ大量の塩袋を積み込んでいた。

 完全に意味が分からない。

 ミリスも黙々と袋を運んでいるが、時々ちらちらヴェルカを見ていた。

 多分、俺と同じことを考えている。

 この人、絶対ロクでもない。

「……で?」

「ん?」

「説明。なんでこんなに塩を?」

 するとヴェルカは酒を一口飲み、平然と言った。

「三日以内に塩が跳ね上がる」

「は?」

 ミリスが小さく首を傾げる。

「……値段、普通だった」

「おお! よく見てるねえ」

 ヴェルカが笑う。

「そうさ。“今は”普通だ」

「だったら、今買わなくたって――」

「東側の街道、昨日崩れたろ」

「崩れた?」

「ああ。今朝、鉱夫がやたら保存肉まとめ買いしてたんでね」

 ヴェルカはニヤニヤ笑いながら指を立てる。

「さて、ここで問題だ」

 一本目の指を立てる。

「保存肉には塩が要る」

 二本目。

「ミスラントは鉱山都市。保存食需要がデカい」

 三本目。

「そこへ街道崩落。暫くは物流が止まる」

 ニヤリと笑う。

「ここまで言えば、もう分かるね?」

 俺は絶句した。

「……! そうか!」

 思わず声が出た。

「保存肉が必要なのに、塩が入ってこなくなるのか!」

「そう」

「だったら皆、今ある塩を買い始める……!」

「アハハ! 正解!」

 値段を見たわけじゃない。スキルでもない。

 街の空気と、人の流れだけで読んでいる。

「商人ってのは面白いもんでさ」

 ヴェルカが肩をすくめる。

「“今の価値”だけ見てる奴から死んでいくんだ」

 その直後だった。

「おい! 塩が売り切れてるぞ!」

「ふざけんな! くそっ、こんなことなら買っときゃよかった!」

 市場の向こうで怒鳴り声が上がる。

 ヴェルカはニヤニヤ笑いながら酒瓶を揺らした。

「ほらな?」

 ……なんかもう、この人だけ見えてる世界が違う。

 市場の喧騒を背にしながら、俺は心の底からそう思った。

「よーし、じゃあ次行くよ」

 ヴェルカが酒瓶を揺らしながら歩き出す。

「次?」

「仕事だよ仕事。商人は忙しいんだ」

「昼間から飲んでる奴が言う台詞か?」

「酒は栄養だからねぇ」

「終わってんなこの人……」

 ぼやきながら後を追う。

 だが、街の中心部を抜けるにつれ、周囲の景色が少しずつ変わっていった。

 人通りが減り、建物も古くなる。空気が冷たい。

 やがて石畳すら途切れ、荒れた山道へ出る。

 嫌な予感がした。

「なあ、どこ行くんだ?」

 ヴェルカは鼻歌交じりに前を歩く。

「もう着くよ」

 数分後。

 俺たちは、それを見上げていた。

 山肌へぽっかり開いた巨大な穴。崩れかけた坑道入口。古い封鎖柵。

 その周囲だけ、不自然なくらい静かだった。

 入口横には、色褪せた警告板が立っている。

【ギルド指定危険区域 ガザルム坑道 危険度B】

「…………」

 背筋が冷えた。思わず足が止まる。

 ミリスも隣で坑道を見上げていた。

「……ここ、空気が変」

 珍しく、はっきり嫌悪感を口にする。

 それくらい異様だった。

 坑道の奥は真っ暗で、まるで巨大な生き物の口みたいに見える。

「ここ、昔は鉱山だったんだけどねぇ」

 ヴェルカが軽い口調で言う。

「十年前に閉鎖されたんだ」

「閉鎖?」

「ああ。魔物が住み着いてね」

 サラッと言った。

「帰ってきた奴がほとんどいなかったんだよ」

 ほとんど。ゼロじゃあない。

「一人だけ生還した鉱夫がいたんだが、“黒鉄くろがね喰らい”がいるって騒いだのさ」

「黒鉄くろがね喰らい……?」

「鉄を食う魔物。正式名は《グラン・モルド》だったかな」

 聞いたこともない。だが、名前だけで嫌な感じがした。

「ギルドが討伐隊を送ったんだが」

「だが?」

「半分しか戻ってこなかったってさ」

 ヴェルカは笑った。

 けれど、その赤い目だけは笑っていなかった。

「笑い事じゃねぇだろ!」

「アハハ!」

 笑って誤魔化された。

 いや待て。

 危険度Bって。

 俺でも分かる。絶対ヤバいやつだ。

 少なくとも、今の俺たちが入っていい場所じゃない。

 嫌な汗を流しながら聞く。

「なんで、そんな所に来た?」

 するとヴェルカは当然みたいに言った。

「星涙石せいるいせきを取ってきてほしくてね」

「…………は?」

「坑道の最深部に鉱脈があるんだ。運が良ければ原石が拾える」

 星涙石せいるいせき。聞いたことがある。

 五大宝石。金持ちが国ごと競り合う化け物鉱石の一種のはず。

「いやいやいや!」

 思わず叫ぶ。

「なんでそんな軽いノリなんだよ‼」

「金になるから?」

「そういう問題じゃねぇ!」

 ミリスも小さく坑道を見上げていた。

「……危険」

「だよな。それで、もしそのグラン何とかに遭遇したら……?」

 恐る恐る訊ねる。

 するとヴェルカは平然と言った。

「まあ、バレた時は頑張って倒すしかないね」

「倒す前提なの⁉」

「逃げるならソレもアリ」

「帰ってこれる気がしないんだけど⁉」

 俺は坑道とヴェルカを交互に見る。

「……いや待て」

 嫌な予感がした。

「当然、ヴェルカさんも来るんだよな?」

「え?」

 ヴェルカがキョトンとした。

「いや、私は行かないけど」

「は???」

 意味が分からなかった。

「なんで⁉」

「だって怖いじゃん」

 俺は数秒、真顔になった。

 ……この人、本気で言ってるのか?

 弟子を危険地帯へ放り込んどいて、自分は安全圏待機なのか。

「安心しなって。ちゃんと力は貸すからさ」

「その言葉が一番信用ならねぇんだよ!」

 生きて帰れたら、一発くらい殴っても許される気がする。

 するとヴェルカは、ふと思い出したように荷物を漁り始めた。

 そして、

「ほいこれ」

 雑にリュックを投げて寄越した。

「……何これ」

「支援物資」

 中を開けてみる。

 ロープ。

 折り畳みシャベル。

 干し肉。

 ランタン。

 フライパン。

 果物ナイフ。

 あと、何故か魚の干物。

「いや武器ぇ⁉」

「あるじゃないか」

「果物ナイフ一本だろうが!」

 ミリスが干物を持ち上げる。

「……これは?」

「非常食」

「いる?」

「多分」

 適当すぎる。不安しかない。

「だ、大丈夫なんだろうな……?」

 恐る恐る聞くと、ヴェルカは酒瓶を傾けながら笑った。

「大丈夫大丈夫」

「根拠が薄い!」

「死んだら骨は拾って売ってやるから安心しな」

「安心できるか‼」

 ケラケラ笑うヴェルカ。

 目の前には、帰還者ほぼゼロの魔窟。

 まともな武器なし。支援役は酔っ払い。

 控えめに言って終わっていた。

 ――なのに。

 ヴェルカは、俺たちが死ぬとは欠片も思っていない顔をしていた。

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