Mag-log in夜風が、火照った頬にじんわりと沁みた。
商会を飛び出してから、まだそんなに時間は経っていない。
なのにもう、さっきまでいた場所が妙に遠く感じる。
「ほら、突っ立ってないで乗りな」
通りの端へ停められていた大型馬車。その御者席から、女がひらひらと手を振った。
ヴェルカだ。
長い赤髪を無造作に流し、片手には酒瓶。完全に出来上がった顔で笑っている。
……本当にこの人について行って大丈夫なんだろうか。
俺は思わず、隣のミリスを見る。
ミリスも無表情のままヴェルカを見上げていた。
「危険人物」
「だよな……」
即答だった。
だがヴェルカはケラケラ笑う。
「失礼だねぇ。これでも評判の良い行商人だよ、私は」
「酒臭い時点で説得力ゼロなんだけど……」
「酒は商売の潤滑油さ」
「潤滑しすぎだろ」
ツッコみながら馬車へ近づく。
その瞬間。
「うわっ……」
思わず声が漏れた。
荷台がとんでもないことになっていた。
積まれているのは木箱だけじゃない。
鍋。フライパン。酒樽。干し肉。布袋。工具。ロープ。ランタン。剣。槍。見たこともない置物。よく分からない骨。なぜか巨大な魚の干物まである。
統一感が皆無だった。
「……ゴミ捨て場?」
「商売道具だよ」
ヴェルカが不満そうに眉を寄せる。
「行商人ってのはね、お客が欲しがるなら何でも売るもんなの」
「いや限度あるだろ……その魚いる?」
「南方じゃ高級品だぜ?」
「マジで?」
思わず魚を見る。
《塩漬け巨大魚:480G》
高っ。
こんなのまでちゃんと価値あるのかよ……。
俺が若干引いていると、近くで別の馬車を整備していた男がこちらへ顔を向けた。
「あれ、ヴェルカじゃねぇか」
日に焼けた中年の御者だった。
ヴェルカを見るなり、呆れたように笑う。
「なんだよ。また弟子増やしたのか?」
「拾った」
「犬猫みたいに言うな」
即座にツッコむ。
御者は腹を抱えて笑った。
「ははっ、今回は何日持つかねぇ」
「失礼だなぁ。今回は長持ちするよ」
「前の奴、三日で逃げただろ」
「繊細だったんだよ」
「酒瓶投げつけたって聞いたぞ」
「避けなかったアイツが悪い」
「最低だこの人!」
思わず叫ぶと、御者は「頑張れよ坊主」と肩を叩いてきた。
全然励まされてる気がしない。
俺は嫌な汗を流しながらヴェルカを見る。
「……本当に大丈夫なんだよな?」
「大丈夫大丈夫」
ヴェルカは酒瓶を揺らしながら笑った。
「私は“面白い”と思ったモノしか拾わない主義でね」
その言葉だけ、妙に真っ直ぐだった。
一瞬だけ。本当に一瞬だけだが。
酔っ払いの目には見えなかった。
「……ま、立ち話してても仕方ない。行くよ」
ヴェルカが手綱を鳴らす。
馬がゆっくり動き出した。
石畳を抜け、見慣れた街並みが遠ざかっていく。
俺は荷台へ腰を下ろしながら、小さく息を吐いた。
――街から出るのなんて、何年ぶりだろう。
そして。
長年暮らした街を飛び出してから、三日後。
俺たちは次の街へ辿り着いていた。
鉱山都市ミスラント。
街へ足を踏み入れた瞬間、まず耳へ飛び込んできたのは、金属を打ち鳴らす甲高い音だった。
カン、カン、と絶え間なく響く槌音。
通りには鉱石を積んだ荷車が何台も行き交い、煤まみれの鉱夫たちが怒鳴り声を上げながら行き交っている。
空気もどこか鉄臭い。
「うわ……」
思わず辺りを見回す。
俺が今までいた街とは、空気そのものが違った。
市場には武器、防具、鉱石、工具。
並んでいる商品も全体的に物騒だ。
剣一本にしても、以前居た商会で見たような飾り物じゃない。
本気で“使うため”の道具ばかりだった。
「田舎者丸出しだねぇ」
御者席でヴェルカが笑う。
「うるさいな……」
「ミスラントは鉱山と交易で食ってる街だ。人も物も金も流れが激しい。だからそのぶん、胡散臭い連中も多いんだ」
「胡散臭い人が言うと説得力あるな」
「お、褒めてる?」
「褒めてない」
そんなやり取りをしている間にも、ヴェルカの馬車へ視線が集まっていた。
「おい、ヴェルカだ」
「また来やがったのか……」
「今度は何持ってきた?」
通りの商人たちがざわつく。
しかも妙に反応が極端だった。
歓迎してる奴もいれば、露骨に顔をしかめる奴もいる。
ヴェルカはそんな視線を気にも留めず、酒瓶を片手に笑っていた。
「アハハ! いやあ、人気者はつらいねぇ」
「笑ってる場合かよ……。奥のオッサンとか、殺意剥き出しだぞオイ……」
すると突然。
「おいヴェルカ!」
露店の向こうから、小太りの男が声を張り上げた。
「ちょうどいい! 例の魔導具、買わねぇか⁉」
男の露店には、古びたランタンが置かれていた。
表面には古代文字みたいな紋様が刻まれている。
確かに、一見すると本物っぽい。
「古代遺跡産だ! 魔力反応もある!」
「へぇ?」
ヴェルカが興味深そうに馬車を降りる。
俺も何となく後ろからついていった。
視界に数字が浮かぶ。
《ガラクタのランタン:8G》
……安っ。
いや、絶対インチキだろこれ。
「やめとけって」
俺は小声でヴェルカへ言う。
「どう見ても偽物だ」
だがヴェルカはニヤついたままランタンを持ち上げた。
「ふぅん……」
カン、と軽く叩く。
次の瞬間。
バキッ。
「え?」
ヴェルカが躊躇なくランタンを分解した。
露店の男が固まる。
「ちょっ、おま――!」
そのままヴェルカは内部を覗き込み、小さく笑った。
「やっぱり」
中から、青白く光る鉱石片を摘まみ出す。
視界の数字が切り替わる。
《
「はぁぁ⁉」
思わず叫んだ。
さっきまで8Gだったガラクタの中に、とんでもないモノ入ってるんだけど⁉
露店の男も目を剥いていた。
「な、なんでそんなモン入って――」
「知らなかったのかい?」
ヴェルカがニヤリと笑う。
「こりゃ古代式ランタンじゃなく、“魔導炉の廃材”だ。中に核片が残ってる場合がある」
男の顔色が変わる。
つまりコイツ、本当に知らずに売ってたのか。
「よく覚えときな、クラド」
ふと、周囲の喧噪が一瞬だけ遠くなる。
ヴェルカの赤い瞳が細まった。
「商人ってのはねえ、商品を見るんじゃあない」
核片を弄びながら笑う。
「“価値”を見るんだよ」
その瞬間だけ。酔っ払いのダメ女には見えなかった。
背筋が妙にゾワッとした。
「……かっこつけてる」
隣でミリスがぼそっと呟く。
「ははっ! こういうのはかっこつけてなんぼだぜ、お嬢ちゃん」
ヴェルカは笑いながら、そのまま核片を懐へ放り込んだ。
*** ミスラントの市場は、とにかく騒がしかった。怒鳴り声。値切り交渉。鉱石を運ぶ荷車。
その喧騒のど真ん中を、ヴェルカは酒瓶片手にふらふら歩いていく。
……本当に大丈夫なんだろうか、この人。
「お、塩じゃあねえか」
ヴェルカがふと足を止めた。
露店には麻袋へ詰められた白塩が山積みになっている。
「一袋120Gだよ! 今なら安い!」
店主が声を張り上げる。
俺は反射的に値段を見る。
《岩塩:118G》
ほぼ適正価格だった。
特に問題はない。
だがヴェルカは、塩を指で摘まむと、妙にニヤついた。
「なあオッサン! コレ、全部くれ」
「は?」
思わず変な声が出た。
隣でミリスも、ほんの少しだけ目を丸くしていた。
「……全部?」
珍しく、自分から口を開く。
「そ。全部」
ヴェルカはケラケラ笑った。
「ま、毎度あり!」
店主が慌てて袋をまとめ始める。
「おい待て待て待て! 何でだよ⁉」
俺が止めると、ヴェルカは酒瓶を揺らしながら笑う。
「まあまあ! いいから積みな!」
数十分後。
俺たちは馬車へ大量の塩袋を積み込んでいた。
完全に意味が分からない。
ミリスも黙々と袋を運んでいるが、時々ちらちらヴェルカを見ていた。
多分、俺と同じことを考えている。
この人、絶対ロクでもない。
「……で?」
「ん?」
「説明。なんでこんなに塩を?」
するとヴェルカは酒を一口飲み、平然と言った。
「三日以内に塩が跳ね上がる」
「は?」
ミリスが小さく首を傾げる。
「……値段、普通だった」
「おお! よく見てるねえ」
ヴェルカが笑う。
「そうさ。“今は”普通だ」
「だったら、今買わなくたって――」
「東側の街道、昨日崩れたろ」
「崩れた?」
「ああ。今朝、鉱夫がやたら保存肉まとめ買いしてたんでね」
ヴェルカはニヤニヤ笑いながら指を立てる。
「さて、ここで問題だ」
一本目の指を立てる。
「保存肉には塩が要る」
二本目。
「ミスラントは鉱山都市。保存食需要がデカい」
三本目。
「そこへ街道崩落。暫くは物流が止まる」
ニヤリと笑う。
「ここまで言えば、もう分かるね?」
俺は絶句した。
「……! そうか!」
思わず声が出た。
「保存肉が必要なのに、塩が入ってこなくなるのか!」
「そう」
「だったら皆、今ある塩を買い始める……!」
「アハハ! 正解!」
値段を見たわけじゃない。スキルでもない。
街の空気と、人の流れだけで読んでいる。
「商人ってのは面白いもんでさ」
ヴェルカが肩をすくめる。
「“今の価値”だけ見てる奴から死んでいくんだ」
その直後だった。
「おい! 塩が売り切れてるぞ!」
「ふざけんな! くそっ、こんなことなら買っときゃよかった!」
市場の向こうで怒鳴り声が上がる。
ヴェルカはニヤニヤ笑いながら酒瓶を揺らした。
「ほらな?」
……なんかもう、この人だけ見えてる世界が違う。
市場の喧騒を背にしながら、俺は心の底からそう思った。
「よーし、じゃあ次行くよ」
ヴェルカが酒瓶を揺らしながら歩き出す。
「次?」
「仕事だよ仕事。商人は忙しいんだ」
「昼間から飲んでる奴が言う台詞か?」
「酒は栄養だからねぇ」
「終わってんなこの人……」
ぼやきながら後を追う。
だが、街の中心部を抜けるにつれ、周囲の景色が少しずつ変わっていった。
人通りが減り、建物も古くなる。空気が冷たい。
やがて石畳すら途切れ、荒れた山道へ出る。
嫌な予感がした。
「なあ、どこ行くんだ?」
ヴェルカは鼻歌交じりに前を歩く。
「もう着くよ」
数分後。
俺たちは、それを見上げていた。
山肌へぽっかり開いた巨大な穴。崩れかけた坑道入口。古い封鎖柵。
その周囲だけ、不自然なくらい静かだった。
入口横には、色褪せた警告板が立っている。
【ギルド指定危険区域 ガザルム坑道 危険度B】
「…………」
背筋が冷えた。思わず足が止まる。
ミリスも隣で坑道を見上げていた。
「……ここ、空気が変」
珍しく、はっきり嫌悪感を口にする。
それくらい異様だった。
坑道の奥は真っ暗で、まるで巨大な生き物の口みたいに見える。
「ここ、昔は鉱山だったんだけどねぇ」
ヴェルカが軽い口調で言う。
「十年前に閉鎖されたんだ」
「閉鎖?」
「ああ。魔物が住み着いてね」
サラッと言った。
「帰ってきた奴がほとんどいなかったんだよ」
ほとんど。ゼロじゃあない。
「一人だけ生還した鉱夫がいたんだが、“
「
「鉄を食う魔物。正式名は《グラン・モルド》だったかな」
聞いたこともない。だが、名前だけで嫌な感じがした。
「ギルドが討伐隊を送ったんだが」
「だが?」
「半分しか戻ってこなかったってさ」
ヴェルカは笑った。
けれど、その赤い目だけは笑っていなかった。
「笑い事じゃねぇだろ!」
「アハハ!」
笑って誤魔化された。
いや待て。
危険度Bって。
俺でも分かる。絶対ヤバいやつだ。
少なくとも、今の俺たちが入っていい場所じゃない。
嫌な汗を流しながら聞く。
「なんで、そんな所に来た?」
するとヴェルカは当然みたいに言った。
「
「…………は?」
「坑道の最深部に鉱脈があるんだ。運が良ければ原石が拾える」
五大宝石。金持ちが国ごと競り合う化け物鉱石の一種のはず。
「いやいやいや!」
思わず叫ぶ。
「なんでそんな軽いノリなんだよ‼」
「金になるから?」
「そういう問題じゃねぇ!」
ミリスも小さく坑道を見上げていた。
「……危険」
「だよな。それで、もしそのグラン何とかに遭遇したら……?」
恐る恐る訊ねる。
するとヴェルカは平然と言った。
「まあ、バレた時は頑張って倒すしかないね」
「倒す前提なの⁉」
「逃げるならソレもアリ」
「帰ってこれる気がしないんだけど⁉」
俺は坑道とヴェルカを交互に見る。
「……いや待て」
嫌な予感がした。
「当然、ヴェルカさんも来るんだよな?」
「え?」
ヴェルカがキョトンとした。
「いや、私は行かないけど」
「は???」
意味が分からなかった。
「なんで⁉」
「だって怖いじゃん」
俺は数秒、真顔になった。
……この人、本気で言ってるのか?
弟子を危険地帯へ放り込んどいて、自分は安全圏待機なのか。
「安心しなって。ちゃんと力は貸すからさ」
「その言葉が一番信用ならねぇんだよ!」
生きて帰れたら、一発くらい殴っても許される気がする。
するとヴェルカは、ふと思い出したように荷物を漁り始めた。
そして、
「ほいこれ」
雑にリュックを投げて寄越した。
「……何これ」
「支援物資」
中を開けてみる。
ロープ。
折り畳みシャベル。
干し肉。
ランタン。
フライパン。
果物ナイフ。
あと、何故か魚の干物。
「いや武器ぇ⁉」
「あるじゃないか」
「果物ナイフ一本だろうが!」
ミリスが干物を持ち上げる。
「……これは?」
「非常食」
「いる?」
「多分」
適当すぎる。不安しかない。
「だ、大丈夫なんだろうな……?」
恐る恐る聞くと、ヴェルカは酒瓶を傾けながら笑った。
「大丈夫大丈夫」
「根拠が薄い!」
「死んだら骨は拾って売ってやるから安心しな」
「安心できるか‼」
ケラケラ笑うヴェルカ。
目の前には、帰還者ほぼゼロの魔窟。
まともな武器なし。支援役は酔っ払い。
控えめに言って終わっていた。
――なのに。
ヴェルカは、俺たちが死ぬとは欠片も思っていない顔をしていた。
クラドたちがミナスガルドを旅立って、三日後の真夜中。「くそ……アルベリオの役立たずめ……!」 ミザールは脇腹を押さえ、人気のない路地を急いでいた。 息を吸うたびに喉がひりつき、慣れない石畳に何度も足を取られる。 こんな惨めな思いをするのも、全てはあの男がしくじったせいだ。 角を曲がったところで足を止め、背後を窺う。 追ってくる足音はない。 それでもしばらく耳を澄ませてから、ようやく詰めていた息を吐いた。 街さえ出れば、どうにでもなる。 金を握らせれば動く連中など、いくらでもいるのだ。 乱れた襟元を直し、歩みを再開する。その時だった。「あら。こんな夜更けに大急ぎで、どこへ行くのかしら?」 鈴を転がすような声が、ミザールの足を止めた。 声の方を見やると、その先に少女が立っていた。 街灯の下、全身を包む黒い装束に、細い金の線が浮かんでいる。 白磁のヴェネチアンマスクで素顔は窺えない。 だが少女の手に握られた短剣が、猫の目のように爛々と輝いていた。「悪いなお嬢さん、ボクは見ての通り急いでいるんだ。そこを退いてもらおうか」「残念だけれど、それは無理な相談ですわ。ミザール様」 少女はマスク越しにミザールへ笑いかけ、一枚のカードを投げ放つ。 カードは足元の石畳を滑り、靴先に当たって止まる。「……なんの真似だ」 しかし少女は答えない。 ミザールは彼女を警戒しながら腰を屈め、カードを拾い上げた。 自分の名に続く細かな文字に目を走らせた途端、眉がぴくりと跳ねる。「まずはたしか、人身売買だったかしら」 指先が強張った。 少女はカードを見るまでもなく、そこに記された罪状をすらすらと読み上げていく。 海賊との取引も、口封じを命じた相手も、ミザールが金を使って揉み消してきたはずのことばかり――。「そして、商船襲撃の手引き……救いようもない悪党ね、あなた」「あの異国人共の船はアルベリオが勝手にやったことだ! ボクは何も――」「あら? まだどこの船とも申し上げておりませんけれど?」 少女の指摘に、ミザールは口を噤んだ。 仮面の奥から向けられる眼差しに耐えかね、手の中のカードを握り潰す。 ――この女は知っている。 どこまで調べたのかは分からないが、生かして帰すわけにはいかなかった
その日の夜、宿屋で俺たちを待っていたのは、目を疑う光景だった。「おう、遅かったじゃねえか」 目の前にはヴェルカ。しかしその隣に、酒瓶がない。 床に転がっていた空瓶もなく、酒の臭いすらしない。「ヴェルカ、だよね?」「まさか入る部屋を間違えたのでは」「合ってるわ。こんな時に飲んでられるかよ」 ヴェルカは顎でベッドを示し、座るよう促してきた。 三人でベッドの縁に腰を下ろす。向かいの椅子に座るヴェルカを見て、俺は口を開いた。「それで、話ってなんだ?」 ヴェルカはすぐには答えなかった。 秒針の音がやけに大きく聞こえる。「ヴェルカ殿?」「クラド、ミリス。それと、カグヤ。……すまなかった」 深々と頭を下げられ、俺は思わず息を呑んだ。「ヴェルカ? どうしたんだよ、急に」「お前ら、アルベリオが競売会場で言ったこと、覚えてるか?」 真っ先に口を開いたのはカグヤだった。「利用されている、たしかそう言っていたような」「それだ。そのことで、お前らに謝らなきゃなんねえ」 顔を上げたヴェルカは、俺たちを見据えた。「アイツの言ってたことは間違っちゃいねえ。私は確かに、お前らを利用していた」「……利用?」 ミリスが目を丸くして、俺とヴェルカの顔を交互に見ている。 隣ではカグヤも眉を寄せていた。「それは……どういう意味ですか?」「言葉通りだ。私には私の目的があって、そのためにお前らに目を付けた」 俺たちに教えてくれたことも、ここまで一緒に旅をしてきたことも、その目的のためだったのか。 けれど、思い浮かんだのは、あのベリアルを前にした時の姿だった。 ヴェルカは自分の命を削ってまで、俺たちを立たせてくれた。 あれも全部、自分のためだったとは思えない。「……何のために?」 ヴェルカが少しだけ目を見開く。「怒らねえのか?」「理由も聞かずに怒れるかよ。アンタには、命だって助けてもらってるんだ」「……ったく」 ヴェルカは困ったように笑い、椅子の背にもたれた。「じゃあ、少し昔話に付き合ってくれ」 俺たちが黙って待っていると、やがてヴェルカは話し始めた。「八年前、私は《夜明けの牙》ってギルドにいた。当時はそこそこ名の知れたギルドでな。私にも、仲間って呼べる奴らがいた」 仲間、と口にした時だけ、声が少し和ら
「……ド!」 声がする。「……ラド!」 誰かが俺を呼んでいる。 そういえば、あれから俺はどうなったんだ? ベリアルを斬って、奴の身体が崩れて、それから――。「クラド!」「クラド殿! 起きてください!」 瞼を持ち上げた途端、全身が一斉に痛みを訴えた。 肩も腰も頭も痛い。むしろ、痛くない場所を探した方が早そうだ。「痛ァッ!」 反射的に起き上がろうとした俺の額を、ヴェルカが掴んで地面へ押し戻した。「バカ、そんなすぐ起きたら傷が開くだろうが」「だったらもう少し優しく戻せ!」「いっけね」 舌を出すヴェルカへ文句を言う間もなく、今度はミリスが胸へ飛び込んできた。「クラド! よかった、生きてた……!」「ミ、ミリス……肋、肋が……」 聞こえていない。 ベリアルを倒した直後に仲間の抱擁で死ぬのだけは、さすがに勘弁してほしい。「こらこらミリス殿。その辺にしておかないと」「だって、だって……」「このままじゃクラドが死ぬぞ?」 ヴェルカが笑う。 つい数秒前、自分が俺の頭を地面へ押し戻したことは忘れたらしい。 ……いや、ちょっと待て。「俺って確か、落ちてなかったか?」 そこまで思い出したところで、カグヤがミリスを引き剥がしながら振り返った。「あの後、ヴェルカ殿が受け止めてくれたんですよ」「ったく、最後まで世話の焼ける弟子だよ、お前は」 そう言うくせに、ヴェルカの口元は少しだけ緩んでいた。「……ヴェルカ」「あ?」「ありがとう」「き、気持ち悪ぃこと言うなよ。鳥肌立つだろ」「おい! 人が素直に礼言ってんだから受け取れよ!」「いらねえよ。現金で寄越せ」「結局金かよ!」 まったく。「それよりクラド殿、身体は本当に大丈夫ですか?」「全然大丈夫じゃない。たぶん骨、何本かいってる」「……治療していただきましょう」 そこでようやく、俺も大きく息を吐いた。 改めて周囲を見る。 夜市だった場所は見る影もない。 石畳は抉れ、建物は崩れ、《価格暴落》に呑まれた一帯には瓦礫すら残っていなかった。 灰だけが、夜風に舞っている。 そして――ベリアルはいない。「……本当に、倒したんだよな」「ええ。気配は完全に消えてい
「俺たちの価値は、俺たちが決めるッ!」 叫び声が、灰色の街に響き渡った。 その声が消えてからも、しばらく誰も動かなかった。 瓦礫の山。崩れ落ちた家々。価値を奪われ、砂と灰だけになった石畳。 その中心に立つベリアルは、まるで巨大な城壁のように俺たちを見下ろしている。『ほぉ。ならば見せてみよ、貴様らが決めた価値とやらを』 対して俺たちは……正直、限界に近かった。 それを見透かしたように、ベリアルの口角が僅かに上がる。 だが、その口が開くより早く――。「だが今の貴様らのような雑魚羽虫にできることなど、たかが知れている」 ヴェルカが芝居がかった声で、その続きを先回りした。「……なんて、いつまでも言われっぱなしは癪だからよォ! だから見せてやる!」 驚き振り返る暇もなく、ヴェルカは強引にミリスとカグヤのうなじを掴んだ。 二人が目を丸くするのも構わず、その手に力を込める。「この能力、後がキツいから嫌いなんだが……。贅沢は言ってられねえ!」 ヴェルカの手が、二人のうなじを掴んだまま強く光る。「ちょ、ちょっとヴェルカさん⁉」「ヴェルカ、何をするつもり?」「こっから先は、未来の私に“ツケ”てやる。ただそれだけだ」 その言葉と同時に、光が二人の身体を包み込んだ。「……え?」 ミリスが自分の手を見つめる。 さっきまで震えていた指には力が戻り、カグヤの傷口から流れていた血も止まっていた。「これ……」「体力と魔力をまとめて前借りした」 ヴェルカは二人から手を離すと、肩をぐるりと回した。「未来の私からなァ」「未来から……?」 カグヤが不思議そうな顔で問う。「未来から。だから後払いだ」 ヴェルカは笑った。「当然利子付き。最悪だろ?」 軽口とは裏腹に、その額にはじっとりと汗が浮かんでいる。 俺は思わずヴェルカを振り返る。「おい、それって……」「なに心配すんな」 ヴェルカがニヤリと笑った。「師匠ってのは、弟子より先にぶっ倒れるくらいで丁度いいんだよ」「そんな理屈、聞いたことないぞ」「今私が作った」 そう言って、ヴェルカは俺の胸を軽く叩いた。「クラド。テメェもだ」「……俺も?」「当たり前だろ。まさか二人だけ元気にして、
巨体が大きく揺れ、そのまま石畳へ崩れ落ちた。 ゆっくりと土煙が晴れる。 焦げた胸板。 焼き潰れた右目。 額にはヴェルカの蹴り跡が深々と刻まれていた。 それでも、ベリアルは起き上がろうとはせず、ただ自分の掌を見ていた。『ぐ……。何故、だ……』 低く唸るような声が響く。『何故、我に攻撃が届いた』 その問いは俺たちではなく、自分自身に向けられているようだった。『我に奪えぬ価値はない。我の前では全てが無価値となるはず』 大きな掌――その中央に空いた風穴を見つめ、ゆっくりと握る。 触れたものの価値を奪う掌に、初めて付けられた傷なのだろう。 その姿を見て、ヴェルカが鼻で笑った。「どうやら神様ってのも、案外頭は固ェみたいだな」 神を名乗るには、随分と間抜けな顔だ――そう言わんばかりに肩を竦める。 ミリスが俺とベリアルを見比べる。「結局、どうして攻撃が当たったの?」「私にも、全く見当が付きません」 屋根から降り立ったカグヤが静かに首を振った。「私の符術は、触れられた瞬間に崩壊しました。それなのに、クラド殿の攻撃だけが通った理由は……」「そこなんだ」 俺は二人へ視線を向けながら言った。「考え方が、逆だったんだよ」「逆?」 ミリスが瞬きを繰り返す。「じゃあ逆に聞くが、お前ら、音を殴ったことはあるか?」 その横から、ヴェルカが割って入ってきた。「……え?」「光でもいい。掴んだことは?」 あまりに突飛な問いに、二人は揃って黙り込む。「そんなのできるわけ――」 言いかけたミリスの横で、カグヤが眉を寄せた。「というより、それと今回の戦いに何の関係が……」「ああ、普通なら関係ねえ」 ヴェルカはニヤリと笑う。「けど今回は、その"普通"が答えなんだよ」 俺も頷いた。「俺の能力も、ベリアルの能力も、本質は同じだ」 掌を見つめながら続ける。「触れたものの価値を扱う能力。ただ、俺は価値を変えられて、あいつは奪う。それだけの違いだ」「つまり……同じ条件でしか発動しない?」 カグヤが静かに口にする。「そういうこと」 するとミリスが、まだ納得できない様子で首を傾げた。「でもカグヤの攻撃だって、光みたいなものだったよ?」「いえ……厳密には違います
急ぎ足で競売会会場――オペラ座を出ると、露店の連なった夜市が広がっていた。 ほんの数分前まで笑い声で満ちていたはずの夜市は、もうそこにはない。 果物を抱えた商人は荷車を放り出し、家族連れは悲鳴を上げる子供の手を引いて逃げる。 行き交う人々が我先にと押し合い、倒れた誰かを踏み越えて逃げて行く。 その中心に、夜空を背負うように立つのは、三メートルを超える怪物。 ベリアルは逃げ惑う群衆など眼中にない様子で、一軒の露店を掴み上げた。 次の瞬間、その屋台は砂のように崩れ始めた。 木材も、布も、並べられていた雑貨も。 触れられた全てが色を失い、灰となって夜風へ溶けていく。『脆い』 ベリアルは掌に残った灰を見つめ、退屈そうに呟いた。『価値無き器は、触れるだけで崩れる』 言葉と同時に近くの露店を蹴散らす。 その風圧一つで、周囲のテントが舞い上がり、小さな瓦礫が飛び荒む。「皆さん、下がって!」 《硬》 カグヤが間髪入れずに札を切り、障壁を展開した。 それでも勢いがついた瓦礫は、その障壁すら突き破って襲いかかってくる。『先刻の人の子か。何をしに此処へ来た』「そんなの決まってるだろ! オマエを止めに来たんだ!」「街を壊すなんて、そんなの許さない!」『戯言を。貴様らのような無価値なデク人形に、我は倒せぬ』 ベリアルは俺たちを見下しながら、一歩踏み出す。 地面が大きく揺れ、思わず転びそうになる。『だがこの我に立ち向かう勇気、賞賛に値する。価値なき勇気だがな』「図体だけじゃなく、態度もデカいとはなァ。ハッキリ言って、私はアンタが嫌いだぜ」 ヴェルカは鼻で笑い、スカートの裾を豪快に引き裂いた。 そして先程のお返しと言わんばかりに右脚を踏み出し、ベリアルの顔を睨み上げた。「テメェにも教えてやるよ。人間サマの本気がどれくらい恐ろしいモノかをよォ!」『雑兵ほどよく吠えるものよ。まずは貴様から血祭りに上げてくれる』 巨大な拳が、ゆっくりと持ち上がる。「来るぞ!」 俺が叫ぶより早く、ベリアルの拳が大地に叩き付けられた。 轟音。 |石畳《いし